バレンタインデーのチョコは、
近年ご無沙汰ですね。
若い頃はそれなりにしていましたが、
だんだん、めんどくさくなっています。
だけど、2月14日のバレンタインデーが近づいて来ると、
コンビニなどあちらこちらで、
バレンタインチョコの話題で賑わいますし、
華やかになります。
それぞれの思いがこもったバレンタインデー、
そのルーツを調べてみました。
バレンタインデーにチョコレートを贈る起源はいつから?
2月14日はバレンタインデー。
日本では、
女性が好きな男性にチョコレートを贈る日、
また、チョコを渡して告白する日として定着しており、
年末年始モードが終わると、
チョコレートやバレンタインギフトコーナが設置され始めますよね。
しかし、
バレンタインデーを恋人の日として楽しむ習慣は世界各地にありますが、
女性が男性に贈り物をするのも、
チョコレートがメインなのも日本と韓国くらいなんですね。
そして、日本はかなり独特なバレンタインデーをすごす国として、
認識されています。
日本でチョコレートがバレンタインデーの定番となったのは、
「製菓会社(チョコレート業界)の陰謀」という説がありますが、
実は一概にそうとは言い切れません。
バレンタインデーの歴史と、
日本式バレンタインデーが完成するまでの流れを追ってみました。
バレンタインデーは2月14日、
愛する人に気持ちを伝え、また、尽くすためのイベントとして、
世界中で親しまれています。
現在のバレンタインデーは、
宗教色のないイベントとして親しまれていますが、
元々はキリスト教、
特にローマ・カトリックで制定された記念日なのです。
1969年の典礼改革によって
「史実における存在は明らかではない」として除外されたものの、
かつて2月14日は、カトリック教会の聖人暦で、
聖バレンタインの日=Valentine’s Dayであったため、
現在もこの呼び名が使われています。
そんなバレンタインデーの直接的な起源と言えるのは、
496年に当時の教皇ゲラシウス1世が、
2月14日を「聖ヴァレンティノの記念日(St. Valentine’s Day)」
と制定したことに始まります。
聖バレンタインは、その約200年前、
西暦270年頃にローマ皇帝によって処刑された、
キリスト教司祭の名前です。
事実かは分かっていませんが、
彼が処刑された日が2月14日であったことが制定の理由とされています。
この「聖ヴァレンティノの記念日」制定には、
当時ローマで行われていた、
キリスト教とは関わりのない豊穣祭“ルペルカリア祭”の開催を、
止めさせたかったという背景もあるようです。
5世紀頃には、2月14日=バレンタインデーとなりましたが、
このバレンタインデーが「恋人たちの日」となるのは、
それから1000年近く経った14世紀以降のお話しです。
イギリスやフランスでは、
(旧暦の)2月14日頃は小鳥がさえずり始める時期であることから、
愛の告白に相応しい季節と考えられていたという説もありますが、
そうした印象が広まったのは、
ジェフリー・チョーサーの詩など文学的作品による所が大きいようです。
15世紀以降の作品では、
恋人や恋愛と関連付ける単語として“Valentine”が多く登場するようになり、
男性が女性へ愛情を表現したり、
愛の言葉を記したカードを送るなどの風習が定着していきました。
アメリカ大陸へもこうしたバレンタインデーの習慣は伝わり、
西ヨーロッパとアメリカ・カナダなどで、
バレンタインデーは恋人達のイベントとして定着していきます。
19世紀頃には、カード以外に、
花束やチョコレート・アクセサリーなどのプレゼントを、
渡す風習も広まりました。
母の日やハロウィンなどと同じく、
宗教的式典と言うよりは、
商業的なイベントとしての色のほうが濃い地域が、
多くなっていったと言えますね。
バレンタインデーの本来の意味は?
バレンタインの本来の意味とは
ローマ皇帝の命令にも屈せずに、
カップルを結婚させた聖バレンタインに感謝し、
愛するパートナーに感謝の気持ちを伝える日ということになります。
実際に本場イタリアでは、
パートナーや夫婦同士でプレゼントを贈り合って、
感謝や愛情を示す日とされています。
日本とは違い、
ヨーロッパやアメリカなどでは、
バレンタインの本来の意味に沿ったやり方でお祝いしているのです。
バレンタインデー 歴史の由来を簡単に!
聖バレンタインの伝説についてですが…
バレンタインデー(Valentine’s Day)という呼び名の元となっている、
キリスト教の殉教者で聖バレンタイン。
実は、正体は不明で、
同時期に殉教した三人のクリスチャン像が、
混ざっているという説が有力となっています。
それはさておき、
聖ヴァレンタインは「恋人の守護聖人」として紹介されることもある人物で、
恋愛にまつわる伝説が残されています。
有名な話は、
古代ローマで結婚を禁じられた人々に、
こっそりと結婚式を執り行っていたというエピソード。
実際にそんな法令は発せられていなかったという見解もありますが、
伝説では自軍を強固にするために、
ローマ皇帝クラウディウス2世が、
「兵士の結婚を禁じる」という触れを出します。
妻や家族を残して遠征に行くと、恋しくなって、
戦いたくなくなる=士気が下がるからというのが理由です。
結婚を禁じられてしまって悲しんでいる兵士達を見て、
キリスト教の司祭バレンタインは可哀想に思い、
こっそりと結婚式を挙げてあげます。
しかしこの行為が発覚し、
バレンタイン司祭は死罪となってしまいました。
そのほかに、
キリスト教からの改宗を拒んで投獄されていたという伝説もあります。
バレンタイン司祭の担当だった看守には、
目の不自由な娘がいましたが、
彼女を哀れんでバレンタイン司祭が熱心に祈ると、、
娘の目は見えるようになったと伝えられています。
この軌跡を目にした看守一家はキリスト教に改宗しますが、
当時、ローマで弾圧されていたキリスト教を捨てずに、
布教を続けたバレンタイン司祭は皇帝の怒りに触れ死罪されます。
処刑の前日にバレンタイン司祭は、
看守の娘に“from your Valentine”
と書いたメモを渡したという伝説もあります。
メモを贈ったのはキリスト教の信仰を忘れないようにだとも、
看守の娘にバレンタインが恋をしていたからだとも言われています。
こうした聖バレンタインの伝説ですが、
これらが巷で囁かれるようになったのは、
14世紀前後からという説が有力です。
聖バレンタインが殉教者としてではなく、
「恋人たちの守護聖人」として信仰されるようになったのも、
同じくらいの時期なのだそうです。
史実としては認められていないことが多いということもあり、
バレンタインデーが恋人たちの民間行事として広まった中で、
こうした守護聖人バレンタインの伝説が、
広まったという可能性も指摘されています。
あとがき
バレンタインデーにしてもクリスマスにしても、
キリスト教のお祭りなんですが、
やはり日本人ってお祭り好きな民族なんですね。
あまり振り回されるのは考え物ですが、
ほどほどに楽しんで、
ストレス発散に利用できればいいですね。