折句(おりく)とは、
ある一つの文章や詩の中に、
別の意味を持つ言葉を織り込む言葉遊びの一種です。
句頭を利用したものがほとんどで、
それならやったことある!っていう人も多いはずです。
テレビのバラエティー番組などでも使われていますね。
古典の折句とはどんな言葉遊び?
折句 「おりく」と読みます。
① 和歌の技法の一種。
物の名など、
仮名書きで五字の語句を、各句の頭に一字ずつよみ入れたもの。
また、
各句の首尾に、
よみこむ沓冠折句(くつかぶりおりく)を含めて呼ぶこともあります。
おりくうた。
※古今著聞集(1254)五
「花かうじ・しらまゆみといへる文字ぐさりを、
歌の句のかみにすゑて折句の歌によませられける」
② 雑俳の一種。
課題の語または字を句中によみ入れるもので、
普通は五七五の各句頭に、
三字からなる語の一字ずつを配置する。
たとえば、
「塵塚」に明石(あかし)をよみこんだ、
「あひおもふ蚊屋に阿漕の忍妻」がみえる。
その他、
「天の逆鉾」の、
「寝所で鼠がちわも猫の留守」のように、
同一の字を各句頭に置くものなど、種々のやり方がある。
※咄本・宇喜蔵主古今咄揃(1678)序、
「はなしに骨(ほね)を折句(オリク)さへ、業平餠の数をわすれ」
③ 雑俳の一種。
判者から上五文字を出して、
下の七五を付けさせるもの。〔俳諧・俳論(1764)〕
①の実作としては、「伊勢物語‐九」で、
業平が「かきつばた」を句の頭において、
「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思(おもふ)」
と詠んだのが古い例。
(2)「折句」の歌例は、
「千載和歌集‐雑下」以下、
勅撰集にも見え、相応の位置を占めていたらしい。
その後、より技巧化して、
十文字を各句の上下に据える沓冠折句も行なわれた。
(3)連歌・俳諧では、発句の一趣向として行なわれ、
特に雑俳は②の形式で流行した。
簡単に言うと…
折句(おりく)日本的アクロスティックの技法。
〈かきつばた〉を隠した
〈からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ〉
が典型例です。
折句は異なる意味を持つ言葉をお織り込む言葉遊び その例文は?
「折句」とは
蛙飛ぶ池はふかみの折句なり(柳多留・六)
という古川柳があります。
芭蕉の
「古池や蛙飛び込む水の音」
は、
句の頭を拾って読むとフカミとなるというのです。
芭蕉がそんなことを考えて詠んだのではありませんが、
結果としてはそうなっています。
「古池や」の句に深みというのはおもしろい発見です。
「三めぐりの雨はゆたかの折句なり」
芭蕉の弟子の其角が江戸向島の三囲(みめぐり)神社で詠んだ雨乞いの句。
「夕立や田をみめぐりの神ならば」
も「豊か」の折句になっています。
其角は衒気のある人で、
自選句集の『五元集』では、
この句の後に「翌日雨降る」と書き添えている自慢の句ですから
折句も意図していたかもしれません。
滝沢馬琴は、其角は折句にするために沈吟したはずで、
もし無意識に作ったのなら、
「其角は実に俳諧の聖なるものなり。」と賞賛しています。
カキツバタ・オミナエシを歌に詠み込むと…
広く知られた折句の歌は、
在原業平が三河の国の八橋(愛知県知立市)の
「カキツバタ(杜若)の咲く沢で、
かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて旅の心を詠め」と言われて
「から衣きつつなれにし妻しあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」
唐衣を着ていると身になれるように、
慣れ親しんだ妻があるので、
はるばると来たこの旅を思うことだと詠んだものでしょう。
この歌は『古今集』(羇旅・四一〇)にも載っています。
『古今集』には「をみなへし(女郎花)」を折句にした
「小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき紀貫之」
小倉山の峰を歩き回って鳴く鹿が過ごしたであろう秋の数を知る人もない
という歌もあります。
この歌は昌泰元年(898)の、
宇多上皇主催の『亭子院女郎花合』で詠まれたと見られますが、
現存の同書には出ていません。
この『女郎花合』の終わった後の宴でも数首の歌が詠まれました。
その中に
「斧の柄はみな朽ちにけりなにもせで 経し程をだに知らずざりける」
少しと思った間に長い時間が経ってしまった。
何もしないで過ごした間だって知らなかった。
「小関山道踏み紛ひ中空に経むや その秋の知らぬ山辺に」
小関山の道を間違えて途中で過ごすのか、その秋の知らない山のほとりで。
などの「をみなへし」を折句にした歌もあります。
これらが最古の折句のようです。
和歌に折句が行われるようになったのは、
平安初期からのようです。
もっとも、
『万葉集』の天武天皇の
「よき人のよしとよく見てよしと言ひし 吉野よく見よよき人よく見」
昔のよい人が良い所だとよく見て良いと言ったこの吉野をよく見よ、
今の良い人よ、よく見よ。
という歌を、
句の頭にヨを揃えた折句と見れば、
奈良時代以前からあったことになります。
以後さまざまな折句の歌が詠まれています。
いくつか特色のある歌を見ることにしましょう。
いろいろな場で作られた折句和歌
平安時代の歌論『新撰和歌髄脳』以下に見える、
小野小町が人に送ったという歌。
「言の葉も常盤なるをば頼まなむ 松を見よかし経ては散るやは」
言葉も常緑であるのを頼りにしてほしい。
松をご覧なさい、時を経て散りはしない。
これに応えた人の歌。
「言の葉は常(とこ)懐かしき花折ると なべての人に知らすなよゆめ」
あなたの言葉はいつも懐かしい花を折るように出端を折ると
一般の人に決して知らせるな。
小町は「琴たまへ(琴を貸してください)」と頼んだのに、
相手は「琴は無し」と断ったのです。
第七の勅撰和歌集『千載集』には「折句歌」として二首載っていますが、
その二首目
「何となくものぞ悲しき 秋風の身にしむ夜半の旅の寝覚めは仁上法師」
なんとなく物悲しい。
秋風が身にしみる旅の夜の寝覚めは。
は、「南無阿弥陀(なもあみだ)」を折句にした旅の歌です。
建仁二年(1202)に行われた、
史上最大の歌合せである『千五百番歌合』の秋二と秋三、
六百一番から七百五十番までは後鳥羽上皇が判者(行司役)で、
その判詞は、
「判の詞の所に形のやうに三十一字を連ねて、
その句の上(かみ)ごとに勝ち負けの字ばかりを定め申すべきなり。」
と自ら仰せられているとおり、すべて折句の歌で勝敗を記してあります。
最初の六百一番の判は
「見せばやな君を待つ夜の野辺の露に 枯れまく惜しく散る小萩かな」
見せたいものだ、
あなたを待つ夜の野辺の露で枯れることが惜しく散る小萩であるよ。
という歌です。
ミキノカチ(右の勝ち)です。
次の六百二番の判の歌は、
「とにかくに心ぞとまる 葉にはあらでかつ置く露の散り紛ふ秋」
あれこれと心がとまる。
葉ではなくて置いたりする露が多く散る秋には。
トコハカチ(床は勝ち)というのは、
以下の歌
「きりぎりす草葉にあらぬ我が床の 露を訪ねていかで鳴くらむ藤原良経」
コオロギは草葉でないのに涙で濡れているわたくしの床の露を訪ねて
どうして鳴いているのだろうか。
に「床」という語がある、
そちらが勝ちということです。
しかも合わせた歌と同じに露を詠んでいます。
このことは他のすべての歌にも共通しています。
最後の七百五十番は、
「治まれる名をも絶えせじ敷島や大和島根も動きなき世ぞ」
治まっている名も絶えないだろう、日本列島も動揺のない世である。
オナシヤウ(同じ様)で持(引き分け)になっています。
最後なので、判の歌は祝賀の心をこめて治まる国を詠んでいます。
こんな感じで詠まれていたようですね、
ここまできてもまだ、よく分りません、奥が深いんですね。
折句の作り方のルールとは?
『折句』とは、
ある5文字の言葉を、
歌の各句の頭に一文字ずつ詠み込んで歌を作る技法、
又はそのようにして詠まれた歌を指します。
例えば『月の夜』を使うと、
つ 強い灯と
き 奇なる妖しさ
の のぞかせて
よ 夜の波間に
る ルビー輝く
こんな感じになりますね。
「折句ing」は、
基本的に折句を使ってタスキをつなげていく遊びです。
※掲示板では、読み込む語句(以後「お題」と記します)を、
[題名]に入れて戴ければ、上のような形式にしなくてもOKです。
こういう感じで作っていくみたいですね、
特別なルールはなさそうです。
あとがき
折句は、
言葉遊びと思えば理解できそうですが、
俳句や川柳などの仲間なのですね。
どちらかと言えば、コマーシャルに使われている宣伝文句や、
標語のようで、
コピーライターさんが作っているように思えますが、
こんなに古くからあるものだと知って、
その見方もちょっと変わってくるかもしれません。