二百十日や二百二十日に台風が多いのはなぜ?暦の由来や防災の日との関係は?

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「二百十日」は「にひゃくとおか」と読みます。
「二百二十日」は「にひゃくはつか」と読みます。

この頃は稲が開花する重要な時期ですが、
農作物に甚大な影響を与える
台風に見舞われることも多い時期です。

二百十日の由来や、
防災の日との関連について調べてみました。

二百十日や二百二十日に台風が多いのはなぜ?

二百十日や二百二十日は、
毎年、9月1日頃から9月11日にあたります。

その点を踏まえて過去の台風上陸履歴を見てみると、
二百二十日前後に台風が上陸していることがわかります。

一説によると、
二百十日と二百二十日がわずか10日違いに設定された理由は、
農作物への被害を最小限に抑えるためだそうです。

統計的には二百二十日のほうが台風シーズンに近いため、
警戒が必要ですが、
二百二十日にばかり気を取られていると、
それ以前の台風への対策が遅れてしまうため、
二百十日も設定し、より厳重な警戒をしたようです。

二百十日や二百二十日の暦での由来は?

「二百十日」(にひゃくとおか)は、
二十四節気の雑節のひとつ。

立春(2月4日頃)から数えて210日目の日で、
毎年9月1日頃にあたります。

稲穂が実る頃に、
農作物に多大なる影響を与える台風に、
見舞われることが多い時期です。

そこで、過去の経験から、
農家にとっては油断のならないこの日を、
厄日として戒めるようになりました。

それは農家だけでなく、
漁師にとっても出漁できるかどうかとともに、
生死に関わる問題でもありました。

また「二百二十日(にひゃくはつか)」も、
同様の雑節で、

旧暦8月1日の「八朔(はっさく)」、
「二百十日」、
「二百二十日」を農家の三大厄日としています。

雑節とは、季節を表す名称のことを言います。

中国、そして日本では昔、
月の満ち欠けによって一年を決める、
太陰暦が暦として採用されていましたが、
月は29.5日周期で新月と満月を繰り返すため、
一年で11日ほど差が生じてしまいます。

そのため、
二年、三年と月日が重なるにつれ、
暦と季節感にズレが生じてしまうのですが、
このズレを修正するために作られたのが、
二十四節気と七十二候になります。

二十四節気は、立春や夏至、秋分など、
聞き馴染みのある方も多い、季節の名称です。

しかし、
二十四節気が作られたのが中国のため、
日本ではそもそもの気候などが異なり
季節感が正確にわかるわけではありませんでした。

そして、二十四節気を補う形で作られたのが雑節です。

雑節は二十四節気とは異なり、日本で作られたもののため、
日本独自の気候や季節に合わせることができ、
ズレをより細かく修正することができます。

そもそも、なぜこのようなことが必要だったかと言うと、
昔は農業に従事している人が多く、

季節を知ることは農作業の目安になるからです。

種まきや田植えの時期、
収穫の時期などを見極めるには、
季節を先読みする必要があります。

それが暦だけでは十分ではなかったことから、
二十四節気よりも細かく季節を分けた
七十二候や雑節が、
季節を知るために大いに役立ったと言われています。

二百十日、二百二十日が、
雑節だと言うことはわかりましたが、
それではどうしてこのような日を設けたのか、
その理由を説明したいと思います。

二百十日は立春から210日後、
二百二十日は立春から220日後を指しますが、
この時期は春に植えた稲が大きく実をつける一方で、
台風が多いとされることから、
農作業に関わる人にとっては、
厄日とされてきた事はお伝えしました。

昔は今のように、
台風をあらかじめ予測することは不可能だったため、
せっかく育った稲が、
強風や大雨でダメになってしまうことがあったのです。

そのため、警戒する意味を込めて、
二百十日と二百二十日を雑節にし、
油断をすることなくその日に備えていたと言われています。

二百十日と二百二十日、
それに八朔を合わせて三大厄日として、
農家の人は特に気を揉んでいたと言われていますが、

現在は八朔が厄日であることは、
ほとんど忘れ去られているようです。

しかし、二百十日と二百二十日については、
今の天気のニュースなどで、
話題として取り上げられることがあります。

台風で成長した稲や農作物を倒されないように、
風を鎮めるための風祭りが、
日本各地に風習として残っています。

中でも、
日本海側の強い風が吹くことが多い富山県では、
「おわら風の盆」は全国的に有名な風祭りの一つです。

豊作祈願に盆踊りが合わさり、
編み笠をかぶった男女が「越中おわら節」に合わせて、
街中を踊り歩きます。

これには、風の神である風神を踊りながら、
外へ追いやってしまおうという意味があるそうです。

また、奈良県生駒郡にある龍田神社では、
日本最古である風鎮大祭が行われます。

風鎮大祭は、
日本書記にも記されており、
それによると675年にはすでに行われていたとされています。

現在も、
午前中に神事が行われ、
午後からは居合剣詩舞道奉納、
風神太鼓奉納、
河内音頭など、
数多くのイベントが開催されています。

この他にも、中部や北陸では、
鎌が風による災害を鎮めてくれると考えられており、
屋根や軒先に鎌を吊るしたり、
竹竿に鎌をつけて立てかけたりしているようです。

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二百十日や二百二十日 防災の日との関係は?

9月1日といえば「防災の日」であることも忘れてはいけません。

「防災の日」は、
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんで、
1960年(昭和35年)に制定されました。

犠牲者の慰霊とともに、
災害に備えて避難訓練や、
防災用品の点検などを促す日でもあります。

「防災の日」が制定される前年には、
伊勢湾台風
(死者・行方不明者およそ5100人、負傷者およそ39000人)
が襲来しています。

これをきっかけに災害対策基本法が制定されました。

関東大震災のときも、
風の影響で火災が広がったそうです。

こうしてみると、
昔からの厄日「二百十日」や「二百二十日」は、
単なるの人の経験知だけではなく、
近代の日本の自然災害とも深く結びついているようです。

この時期は台風被害の多い時期ですが、
いついかなる時に異常気象による災害や震災に見舞われるか、
現代科学の力を持ってしてもわかりません。

「防災の日」をきっかけに、
非常持ち出し袋の点検や、
家族との連絡方法、
避難所、
避難経路、
家族との待ち合わせ場所など、

ぜひ確認しておきましょう。

あとがき

二百十日、二百二十日は雑節の一つで、
それぞれが、
立春から210日目、220日目となっている事が分かりました。

この時期は、台風が多いことから、
農業に従事する人にとっては厄日とされていて、
この他に八朔も合わせて三大厄日と呼ばれていたんですね。

それは今現在でも、
二百十日は9月1日の防災の日と重なる部分もあり、
災害への備えを改めて確認する
重要な日と位置付けられている事も知りました。

二百十日、二百二十日と防災の日を忘れないで、
防災のチェックをしておこうと思います。