祇園祭2019 長刀鉾の稚児発表 お稚児さんの役割と仕事 生き稚児さんとは

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京都に暑い暑い夏がやって来ます!

京都の夏と言えば祇園祭の巡行です。

その祇園祭で、巡行の主役を務めるのが、
長刀鉾のお稚児さんです。

祇園祭は7月のお祭りですが、
お祭りのための準備は、ずっと前から始まっています。

その中でも注目されるのが、長刀鉾のお稚児さんで、
お稚児さん選びは祇園祭の重要課題なのです。

そしていよいよ、長刀鉾のお稚児さんが決まり、
発表されました。

今年の長刀鉾のお稚児さんが、
誰に決まったのかをお知らせします。

  

祇園祭2019 長刀鉾の稚児発表 お稚児さんはどんなお家柄?

2019年 令和の時代になって初めての祇園祭、

令和最初の祇園祭 山鉾巡幸で長刀鉾の生き稚児となるのは
京都市立小室小学校4年生の中西望海君(10歳)に決定したと発表がありました。

中西望海君のお父様は、
市内で京菓子製造販売会社「鼓月」を営む社長の中西英貴さんで、
中西望海君は長男です。

令和初の稚児に決まった中西君は、
「憧れだったのでうれしい。真剣な気持ちでしめ縄を切りたい」と、
抱負を語っていました。

父親で京菓子鼓月(京都市)の社長英貴さん(47)も、
稚児を務めており、親子二代で選ばれたことになります。

長刀鉾の稚児・中西望海君に付き添う禿役には、

ノートルダム学院小学校5年生の杉本崇晃君(10歳)と、
京都市立朱雀第四小学校に通う、4年生の竹内瑛基君(9歳)です。

杉本崇晃君は、
金属熱処理加工会社・株式会社 KOYO熱錬を経営する杉本卓也さんの長男で、

もう一人の禿さん、竹内瑛基君は、
コンサルティング会社・ジャパン・リスク・マネジメント 株式会社を、
経営する竹内秀興さんの長男です。

長刀鉾のお稚児さんに選ばれた中西望海君と、
お稚児さんに付き従う禿さんに選ばれた、
杉本崇晃君と竹内瑛基君の二人は、
まさに今日から、大変な日程の毎日を過ごすことになります。

お稚児さんに選ばれたその日から、
彼の日常のお世話をするのはお父さんの役目になります。

古くから伝わる仕来りですから、
あえて男尊女卑ではないかと異議を唱える人もありません。
お父さんも大変ですが、
やっぱりその裏側では、お母さんや周りの人たちが、
この時ばかりはと頑張ってくださっているのだと思います。

祇園祭 長刀鉾のお稚児さんの役割と仕事

その年選ばれた稚児と禿の、表立った初仕事は、7月1日に始まります。

★『長刀鉾町のお千度』 
7月1日 八坂神社 午前10時から

長刀鉾町の稚児と禿は、町内の役員さんらと一緒に、
八坂神社のご本殿の周りを廻って、
神前に報告と、祭りの無事を祈ります。

お千度というのですから、
本来なら、千度廻りの参拝をして祈願することですが、
実際には3回しか廻りません。

しかし、
町内の役員さんやお供の人たちの人数も含めて3回廻れば、
合わせて千度廻ったことになるというのです。

★『長刀鉾町稚児舞披露』 
7月5日 長刀鉾町会所 午後3時30分から

長刀鉾町の吉符入りの日で、
会所に集まった人たちに、稚児が正式に紹介されます。

曳初(ひきぞめ)や巡幸の時の『稚児舞・太平の舞』を、
まずは会所で町役員さんに見てもらってチェックしてもらいます。

そのあと会所の2階から、四条通に向かって披露します。

窓から身を乗り出して大きく舞う稚児の足元や体を支えるのは、
父親や祖父と稚児係の人のお役目です。

この日、稚児は白塗りの化粧をし、
孔雀の羽を飾った『蝶とんぼ』の冠を戴いて、
振袖に萌葱色の肩衣(裃)と袴を着けます。

★『長刀鉾稚児社参』
午前11時から 八坂神社

唯一の生き稚児である長刀鉾のお稚児さんが、
水干(すいかん)に蝶とんぼの冠に金の立烏帽子(たてえぼし)をつけた姿で、
白馬に乗り、お供を従えて、八坂神社へ詣でる儀式です。

お供の人は裃姿、
禿も稚児を守る武士として、
小素襖(すおう)に、侍(さむらい)烏帽子を着けます。

お稚児さんは、正五位少将(しょうごいしょうしょう)、
十万石の大名と同じ格式を得られるという参詣で、
この参詣を俗に『お位もらい』とも言います。

★『前祭り 山鉾巡行』
午前9時から

昭和40年まで、17日の前祭の20基と、24日の後祭の9基により、
2回の巡行が行われていました。

昭和41年から、すべての巡行が17日に合同となり、
平成23年(2011年)まで、長刀鉾を先頭に、前祭の山鉾23基、
それに続く北観音山から後祭の山鉾9基の、
合計32基で巡行していました。

平成26年からは、
後祭に四条町大船鉾を加え、
前祭に23基、後祭に10基が巡行する本来の形に戻りました。

前祭の巡行 7月17日、午前9時、くじで決められた順番に従って、
四条烏丸を先頭に、前祭の山鉾が勢揃いします。

山鉾巡行の列が四条堺町まで進むと、
そこで『くじ改め』が行われます。

これは、各山鉾町の順番がくじ通りであるかを改める儀式で、
大紋(だいもん)烏帽子姿の奉行役に扮した京都市長に対して、
各山鉾町の町行司が文箱(ふばこ)の中のくじ札を差し出し改めてもらいます。

このときの町行司のパフォーマンスに、
見物客から喝采や笑い、どよめきが起きるのが見どころです。

文箱の結紐を、扇子を使って解き、文箱のふたを開けてくじを差し出します。

奉行がくじを確認すると、町行司は後ずさりをして、
山鉾に向かって扇子で招きます。

四条麩屋町では、長刀鉾のお稚児さんによる、
巡行のハイライト『注連縄切り』が行われます。

長刀鉾稚児の最重要儀式で、
斎竹に張られた注連縄を、太刀で切り落とすことによって、
神域との結界を解き、巡行を進めるのです。

四条河原町や河原町御池の大通りの角で行われる、
鉾や曳山の辻廻しは、割られた青竹を敷いた上に水を撒き、
掛け声とともに引き回されます。

河原町通りから御池通へと進み、
新町御池で解散。

新町通りを通って、各山鉾町へと帰ると、
山鉾はすぐさま解体されます。

祇園祭とは何か歴史を簡単にわかりやすく解説!いつから始まったその起源は?
京都の祇園祭は、大阪天満宮の天神祭り・東京 神田明神の神田祭と並んで、日本三大祭りの一つに数えられている祭典です。7月17日の山鉾巡行や、巡行の前日『宵山』、17日と24日の神輿渡御なども、広く知られる祭りの行事です。ここ最近、24日の後祭り巡行の復活や、大船鉾の復活も話題となり、ますます祇園祭は有名になってきました。年々暑さが厳しくなってきた昨今ですが、京都の夏は、盆地のせいもあってかなり厳しく、人ごみに溢れる宵山の鉾町界隈は、さらにヒートアップします。しかし、祇園祭は、宵山や巡幸の日だけでなく、7月1日から始まり、1ヶ月にわたる行事で、そのすべてを知り尽くしている人は少ないように思えます。祇園祭のいわれや歴史、変遷などをたどると、先人の振興や知恵が見えてきます。祇園祭をさらに深く知り、実際に鉾町を歩けば、京都の町衆のあそび心や心意気まで見えてくると思います。

祇園祭 長刀鉾のお稚児さんは生き稚児さん

現在、鉾に生き稚児が乗るのは長刀鉾だけです。

お稚児さんは鉾の上で、巡行路を祓い清める役目を担っています。

長刀鉾町と養子縁組をして、鉾町の子どもとなったお稚児さんの、
白塗りに美しい衣装姿は、
専門の男性たちによって整えられます。

お稚児さんの髪は、前髪を真っ直ぐに切りそろえ、
襟足を『うろこ』と呼ばれる三角の形に剃り上げられます。

この髪型にする『理髪の儀』は、
40年以上担当しているという理容院で、
お千度、吉符入り、曳初め、神幸祭(山鉾巡行)それぞれの前日、
合計4回行われます。

白塗りの化粧を施す化粧方には、顔師(かおし)が付き、
衣裳は有職に詳しい稚児係が着付けを担当します。

あとがき

長刀鉾のお稚児さんって、誰でもなれるというわけではなく、
京都にゆかりの深い家柄の男子ということです。

しかし、それだけではなく、
祇園祭の長刀鉾のお稚児さんというのは、
とても名誉なお役ではあるのですが、
莫大な費用を負担しなければいけないということで、
家柄…つまりは、裕福な家庭のおぼっちゃまということですね。